映画「ビリギャル」は単なる逆転合格の話じゃなかった件

有村架純 ビリギャル

映画「ビリギャル」が話題です。本は以前流し読みはしたことがあり、「よくあるタイプの受験本かなぁ」という先入観のためじっくり読んだことは無かったのだが、映画を見てみるとその評価は逆転してしまいました。

僕がビリギャルを「面白い!」と思った点は「受験を家族関係という視点で捉え直した」ということ。本のタイトルからすると、ドラゴン桜のような逆転合格物語を描いたものかと思いきや、映画で印象に残ったのは家族関係でした。

今回はビリギャルを「家族愛」「自己愛」という視点から解説してみたいと思います。

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ビリギャルへ愛情表現できない父と、無償の愛情を与え続ける母

主人公であるさやかのお家は、長男をプロ野球選手に育て上げようとしている亭主関白な父親が家族に対して高圧的に振る舞う家庭でした。そこでは長女のさやかは一切の期待を持たれません。

父親の興味は長男の野球の調子だけで、長男にだけごちそうを振る舞うなど露骨に依怙贔屓します。さやかが慶応大学を目指すと言っても、父はバカにするだけでした(そこにも父の悲しい経験が隠されているわけですが)。

一方、母である「あーちゃん」は子供の頃からさやかの可能性を信じ続けます。さやかが不良少女になっても真っ向から否定することはせず、さやかが学校で問題を起こして、あーちゃんが学校に呼び出されても「この子は本当に良い子なんです!」と、さやかへの態度を変えることはありません。慶応大学を目指すと言い始めた時は応援するようになります。

映画ではこの両親のさやか(家族)への態度が対照的に描かれています。

さやかの父が間違っているとは思えない。

僕は、父親が間違っているとは思いません。どうしてもそういう態度を取ってしまうのは、やはり過去の経験からでしょう。大学受験に関しては、自分自身が希望を夢見て敗れた経験があります。だからこそ、慶応大学を目指す娘のさやかに辛く当たってしまうのかもしれません(傷つく所を見たくないため)。長男にプロ野球選手の夢を押し付けてしまうのも、自分がプロ野球選手を夢見て叶わなかったから。

過去の経験のせいで、誤った選択や態度を取ってしまうのは、さやかの父親に限らず皆してしまう事だと思います。裏切られた経験があるから裏切ってしまう。失敗した経験があるから失敗を恐れて行動できなくなってしまう。そのような心理を誰も責めることは出来ないはず。

さやかとあーちゃんと坪田先生の「いまここ」「前を向き続ける」姿勢が家族を変えた

この映画では、この3人が過去の経験に惑わされず「いまここ」にフォーカスを当てた行動をしていたと思います。

  • 今まではビリでクズだったかもしれないけど、受験勉強を頑張って己の人生を作り変えようとしたさやか
  • 「ダメ親」と言われても子供が問題を起こしまくっても信じ続けたあーちゃん
  • 「ダメな人間などいません、ダメな指導者がいるだけなのです」を信念に生徒と向き合い続けた坪田先生

ダメな部分にフォーカスするのは簡単です。正論を言うのは簡単です。それで相手は何も言えなくなるし、「自分が努力するコトはなくなる」のですから。親だって教師だってそうでしょう。自分が変わることなく、子供・生徒が頑張ってくれさえすれば楽です。そうやって信念なく人と接している人間がいかに多いことか。

自分を責めるから人を責める。そんな人に自己愛を

さやかの父親はきっと「自分を責めてしまっているから他人を責めてしまう」状態だったのだと思います。母親や子どもたちに対してうまく接することができない。言っちゃいけないと思いつつ毒を吐いてしまう自分を責める。父の話し方や「目を見て相手と話すことができない」ところから、そういう様子が伺えました(その点で個人的に最も印象に残ったのは田中哲司さんの演技です。)

やはり根底にあるのは自分を責めないという自己愛にあるなと思います。

参考文献:『自分を愛する技術

まとめ

この映画を見て、改めて自分自身の生き方、働き方を見つめなおすきっかけになりました。

 

さやかの母親「あーちゃん」の子育てについて書かれた本も出ています。Kindleを購入したので近々読んでみます。

 

有村架純 ビリギャル

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