ハッキリ言って学歴も収入もどうでもいい。何を持っているかではなく「どう使うか」の方が遥かに大事な理由

子供

こんにちは。よなたんです。今回は、これからあなたが勉強、仕事、何かの活動をするにあたって、めちゃめちゃ大切になってくる1つの視点をお話します。それが「重要なのは使い方」という視点です。

この記事を書くキッカケになったのは、ある受験生の相談からでした。曰く、

「ある受験生が他の受験生のセンター結果をやたら聞いてくる。悪い人がいれば『あーあの子失敗したんだー』と笑ったりする。その子といるのが我慢できない」

といったものでした。この内容に関して色んな事が言えるのですが、今回は焦点を1つに絞り「知識や学歴には価値が無くて、どう使うかにしか価値がないんだ」という話をします。さらに抽象化して「何事も使い方が重要」という話をしていきましょう。それではいきます。

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勉強がメチャメチャ出来る「バカな人達」

世の中、こういう人がいます。勉強ができる。頭も良い。学歴がある。有名企業に入っている。そしてそれらの「自分という存在に貼られたラベルを声高らかに自慢する」というもの。

僕は学習塾をやってて、受験生には日頃から口酸っぱく言ってます。

「勉強それ自体は大して価値が無い。学歴もあってもなくてもどうでもいい。でも、受験勉強で得た経験、知識、学歴、力、それらをどう使うかが重要であって、それらの「力」は人のためにめちゃめちゃ役立つ。だから勉強しろ」

「人生はずっと学びの連続。成長する上で大切なのは勉強もスポーツも仕事も一緒。なんだかんだ勉強できる人は仕事もできる。勉強を続けて結果を出すためにはいろんな力が必要。自己管理能力、継続力、現実的思考、情報処理能力、それらは全て生きるために働くために絶対に必要になってくるよ。

そしてそれを得るためには受験勉強ってめちゃめちゃ良い機会。大学入ってからこんな力を劇的に伸ばす機会はもうほぼ無いと言ってもいい。だから頑張って勉強しなさい」

だから、仮に勉強ができたとしても、勉強が出来ない人をバカにするような人を僕は絶対に許さないし認めません。人としてのステージがあまりにも低い。僕はそういう人こそバカだと思ってます。

勉強できるのはぶっちゃけて言えば得意不得意があるし、世の中では勉強が出来ない人だってたくさん成功している。スポーツが得意とか、絵を書くのが得意とか、ゲームが得意とか、そのレベルに過ぎないと僕は思ってます。たまたま今のいまの日本では勉強ができることが評価されてるだけ。

でも、勉強ができることは素晴らしい武器にもなり得る。使い方を間違えなければ。たくさん勉強して良い会社に入って、人の社会のために貢献する、愛する家族のためにたくさん稼いで養う、使い方や意図は人によれど、「何のために勉強するのか」「何のために働くのか」意図が明確ならば、それはとても素晴らしいこと。

でも、そんな目的も何も無く、ただただ知識が有ること、良い大学に入っていること、良い会社に入っていること、収入が多いことなどに満足して、自己完結して、人の社会の御役に立てようとしないなら、それはハッキリ言って自己満足のオナニーでしか無い。

ウチの親は金持ちなんだぞー!スゴイだろ!

と凄んでるしょうもない奴に過ぎない。

勉強できることが「ギフト(gifted)=天から授かった才能」であることを自覚しろ

勉強できることや仕事ができること。それらを1つの才能と考えるならば、なぜその才能が与えられたのかを一度ちゃんと考えたほうがいい。それは変な話、あなたがスゴイとかじゃなくて与えられたものである。親が金持ちで経済力が在るのと同じように初めから決まったもの。

ならば、勉強が得意なら、その「初めから与えられたモノ」を生かして何が出来るかを考えよう。

僕はかつて、知り合いの塾に遊びに行ったことがある。どのように指導しているのかなーと勉強させてもらうためだ。そこでは講師陣が軒並みめちゃめちゃ優秀で全員が超一流大学出身だった。僕はどんなスゴイ授業をするのかなーと期待いっぱいで見学に行かせて頂いた。

実際に授業を見て僕は絶望した。

勉強のできない小学生に対して、とある講師の方が言うのは「なんでこんなのも分からないの?」「もう辞めたら?」「ほんと馬鹿だな―!」といった言葉ばかり。

僕は勉強できることは素晴らしい事だとも思っているけど、仮に勉強ができて一流大学に入ったとしても、勉強が出来ない人に対して本気で向き合って指導ができないのならば、全く意味が無いのではないかと思ってしまう。もちろんその人本人にとっては「良い大学に入って良い企業に入るための勉強」くらいにしか思ってないのかもしれないが。

僕がここで言いたいのは、勉強ができるやつは性格が悪いということではない。だったら僕は勉強もそこそこしか出来ない上に性格の悪い最悪な奴だ(笑)

勉強ができる事それ自体に、大して価値は無いかもしれない。でも、それをどのように使うかで、あなたの知識や才能というのは目がくらむほどの輝きになるはずだ。

英語では「才能のある」というのは「talented」とか「gifted」と言う。これはいわゆる「受動態(受け身)」であり、つまり英語では、「才能は与えられたものである」と考えることもできる。

腕力を暴力に使うのか、人のために使うのか

ペンは剣よりも強し。これは学力が腕力よりも強いみたいな言葉である。

格闘技をやる人だって、結局は自分のために腕力を使うのか、人のために腕力を使うのかが重要なハズだ。自分の力をひけらかし、そのためには人が傷ついたって構わないと思うのか。それとも自分の与えられた才能を生かして人のために使うのかどうか。

大事なのはいつだって、持っているものそのものではなくて、それをどう使うのかである。僕自身は格闘技とかやったことないし腕力もないけれど、昔から『あしたのジョー』をよれよれになるまで読んでいたから、「力とは何か?」について考える機会が多かったように思う。

お金を自分のために使うのか、人のために使うのか

くどいようだが、たくさん具体例を出させて頂こう。お金だっていくら持っているかよりも何に使うかが重要だ。ハッキリ言ってたくさんお金を稼ごうが、人として終わっている人はたくさんいる。一方で、たくさんお金を稼いでいても、それを人のために惜しみなく使う人もいる。

日本では「お金持ち=悪」「お金を稼ぐこと=悪」といった風潮があるが、そうではないと思う。大事なのは使い方だ。稼ぐことそのものや稼ぎ方ではない。もちろん犯罪的な稼ぎ方はダメだけど。

だから僕は何にお金を使っているかというと、ひたすら「学び」に使っている。たぶん収入の半分以上は学び、研修、新たな経験のために使っている。それは何でかというと、自分がもっともっと学んで、塾生に後輩に色んな人に自分の得た知識、ノウハウ、哲学、たくさんの色んな事をシェアしたいから。

だから僕は勉強の経験、ノウハウ、成功談失敗談をシェアするために「独学ラボ」というブログを書いた。おかげ様で立ち上げ半年で1日2万PVもの人気ブログになった。

僕よりも10個20個30個上の先輩方を見ていると、あるいはビジネス的に成功している人、起業家、塾経営者、とにかくお金を稼いでいる人の使い方を見ていると、車だとか、家だとか、お酒だとか、女だとか、ハッキリ言って若い僕にとってはどうでもいいことにお金を使っているように思える。

もちろん人それぞれ好みはあるし勝手だと思うし使い方なんて自由なのだから、僕なんかが好き勝手言う理由は無いかもしれないけど、もっと良い使い方が在るのではないかと思う。

学歴をどのように使うのか

僕は事実だけで言えば早稲田大学に在学している。でももう退学すると思うから実質高卒になると思う。学歴に関しても僕は別に大学なんかで人の価値は決まらないと思っているし、世間はそうじゃないんだろうけど、僕は世間の価値観は誰かにコントロールされたものだと思っているから、気にしない。

だってふつーに考えて、良い大学行ってても(僕みたいに笑)しょうもない人間はたくさんいるし、大学行ってなくても色んな意味で素晴らしい人は数え切れないほどいる。もしそういう人が周りにいないならば、生きている世界が狭すぎるだけだ。

学歴は、使い方としては良い企業に入る時があると思う。学歴も前述のとおり、明確な意図や理念があれば素晴らしい武器になるだろう。でも、学歴はただのラベルの1つに過ぎないしおまけ程度でしかないのに、「学歴=自分はすごい」と勘違いしてしまうと、色んな拗れが起きてしまうだろう。

僕は元々バカだったので、自分が早稲田に入ったとしても別に自分が勉強できるなんて思ってない。むしろいまだに苦手意識ある(笑)だっていまだに数学とか嫌いだし物理も生物も意味不明ってレベルだし。その辺の人の方が遥かに勉強できるだろう。

大事なのは使い方。僕がいまだに「偏差値38から自宅浪人して早稲田に合格した」と言っているのは、自慢したいわけでも何でも無く、「僕と同じように、バカで低偏差値だけど、それでも早稲田とか行けたらカッコイイよな!と思って頑張っている愛すべきバカ」のためだ。

やっぱり難関大学を目指すのは勇気がいる。自分なんかが?と思う人もたくさんいるはずだ。僕もそうだったし。でも自分と同じような境遇から難関大学に合格した人がいるなら、「自分だっていけるかも・・・?」と思う人が出てくるかもしれない。その勘違いを生むために、僕はいまだに自分の学歴の事を言い続けている。本当はもう言いたくない(笑)

でもそんな僕も、近いうちに早稲田大学を退学すると思う。その理由は色々あるけど、じゃあその「失敗経験」を今度は同じように大学上手くいかない人のために使おうと思っている。「大学行かなくても卒業しなくても人生なんとかなるよ」ってね。

インターネットもただのツール。使い方で人生が変わる

インターネットが当たり前のものになって、悪くなったものが主に1つある。それは「自分の実名を出さずに平気で人を批判できるようになった」というもの。匿名掲示板などはその典型。

芸能人しかり、何か表立って活動する人は必ずこのネットの洗礼を受けると思う。そして最近では、何か自分でビジネスを始めてみたいとか、音楽活動をしてみたいとか、何か自分で始めてみよう!と思っている人にとって、ネットが怖い…というものは非常に大きな障害になっている。

僕は、本人の目の前で文句も批判もできない人はタダのザコ」だと思っているので、全く気にしないようにしている。もちろん多少は気になるが、そんなことで自分のやりたいことを我慢する意味もない。そしてあなた自身の才能を発揮しないということは、あなたの才能のおかげで救われる人がいるのに救わないということになる。

例えば音楽をしている。歌が歌いたい!と言って活動している僕の友人がいる。ハッキリ言ってまだまだ下手だけど(笑)でも一生懸命声を振り絞って歌うその姿にはめちゃめちゃ胸が熱くなる。ということは、その友人は、自分の武器を生かして僕をある意味では救ってくれたということになる。

でも、その友人が批判が怖くて歌うのをやめてしまったとしたら…?

もし大好きなアイドルがファンからのやじとか批判が怖くてやめてしまったら?どれだけ多くの人が活力の元を失ってしまうのか?もし好きな小説家が書くのをやめてしまったら????

自分の人生のステージに立たず、外からグチグチ言うだけの傍観者に終わるのか、あなたはどっち?

僕は「アイドルマスター」「ラブライブ!」といったアイドルをモチーフにしたアニメが好きだが、なぜ好きかというと、アイドルっていうのは「自分の武器を活かす仕事、そして叩かれる恐怖と第一線で正面切って戦い続ける本当に強い人間」だからだ。

だってまず「自分の可愛さを活かす」というコトは誰もが出来ない。女の子にとってかなりハードルが高いもののはずだ(モデルにしろタレントもそうだと思う)。しかし、実際に彼彼女達は自分の武器を生かして誰かの力になっている。

そしてタレント業は普通の仕事よりもたくさんの批判にあうだろう。人よりもたくさんの「悪意」を経験するだろうし、とても大変な仕事だと思う。でも、それらと毎日戦って当たり前のように笑顔を振りまくことが、果たして僕らに出来るだろうか?

たぶん僕には出来ないと思う。でも僕はそれを目指してやっていきたい。だから、テレビの芸能ニュースとかはくだらなさ過ぎて見る価値無いと思っている。

人の生きざまとかどうたらこうたら言う前に、まず自分の人生をもっと考えたら?と思う。たぶんそういうのが好きな人は、自分の御役目が何かわからないから無意味なもので時間を潰してしまうし、成功の機会も同時に潰してしまうんだろう。別にそれがどうこう言うつもりはないが、非常にもったいないと思う。

受験生の成功失敗も、どう使うか捉えるかが重要

僕は大学を中退して近々「高卒)になると思う。ハッキリ言って塾経営者としては失格もいいところだ。でも、僕はそのハンディキャップとか批判されるとか諸々全てを背負ってやっていこうと思う。

なんでかって言うと、僕と同じような人もいるかもしれないから。

ハッキリ言うけど、これからは資格とかどうでも良くなってくる。学歴もそう。良くも悪くも実力主義になってくるだろう。日本の超大企業がバタバタ倒れてくさまを見れば、これからは公務員だから安心だとか、大企業に務めているから安心だとか、そんなことも言ってられなくなるだろう。仮に会社がダメになってもクビになっても生きていける実力こそが求められるはずだ。

資格に関して。ただただクソマジメに勉強してきて教員免許を持っているだけの人より、僕は人を導き強くする力あると自負している。その辺のカウンセラーよりもカウンセリングできるし、その辺のコーチよりも人を勇気づけて成長させる力があると思う。

でも人はどうしても「資格が無いと何もしてはいけない」と思ってしまう。だから僕は、資格なんて無くてもやれるんだよっていう所を見せていきたいわけ。

全て利用してやる!と思えばすごく楽になる

だから僕は、失敗もトラブルも辛いことも今はかなり楽に捉えることが出来る。だって「これ人にシェアすればかなり役立つんじゃね?」って。

トラブルが起こる毎に成長できる。失敗すればするほど成長できる。辛い経験にあえばあうほど、同じような経験をした人のお役に立つことが出来る。だったらむしろ、よくないことのほうがおいしくね?と思う。

僕の好きな歌に「勇者の石」というものがある。前回も紹介したが、こんな歌。

 

なんていう歌かというと「障害がある人の魂のほうが高潔」「何でも恵まれた人の魂は、障害や辛さに耐えられないくらいの赤子のような魂なんだ」

だから、恵まれない、たくさんの障害を持った人のことを、先住民(インディアンだったかな?)は尊敬の念を持って、勇者と称えるのだと。日本の「障害を持った人は可哀想」と思ってしまう価値観とは全くの真逆の価値観なんです。本当に素晴らしいと思う。

だからコレを読んでいるあなたも、失敗だとか、闇だとか、辛いことだとか、ネガティブな事をただ単にマイナスだと思わないで欲しい。それは絶対に誰かの役に立つ。ということは失敗はめちゃめちゃ価値があるんだってこと。

これを覚えておいて、何でもバッチコイ!のマインドでいれば、人生はもっと楽しくなるような気がします。

まとめ

今回の記事はいかがだったでしょうか。ふと書き始めた記事がなんと6000字オーバー(笑)ダラダラと書いてしまいましたが、具体例をたくさん出したので分かって頂けたのではないかと思います。

大事なのは全て使い方です。人脈だってそうですよね。環境もそう。幸運だってそうかもしれない。いま自分が持っているものをちゃんと自覚して、それに甘えたり満足するのではなくて、最大限活用することを考えてみれば、もっと人生良くなるし楽しくなるかもしれません。

それでは最後まで読んで頂きありがとうございました^^

 

子供

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